行きつく先は同じ
東広島のペット火葬 逢の杜ペット霊園です。
浄土真宗において、お墓の表文字によく利用される言葉に ”倶会一処”があります。
こちらは、わたしなりの意訳を施すならば、次のような表現となります。
「必ずまた会おう。約束のあの場所で」
肉体を持ったこの次元での生活は、折り重なり共に過ごせたとしても、
いずれ必ず死別は訪れ、それぞれの旅に出ることとなります。
それでも。別々の道を歩いていても、その先には必ず約束の場所があり、
また会うことができる。還っていく場所として。
ある教義では、人間と動物は行くところが違うので、弔い方も違うということがあります。
でもそれも、行きつく先がちがうということではないはず。
約束のその場所へ行くために、すすむ旅程が違うだけだと。
どの道をたどろうと、いずれきっとまた会える。
私はそう信じています。